平成27年11月11日(水)武蔵野福沢諭吉研究会は、日産自動車㈱追浜工場と記念艦三笠の見学を目的とするバス研修を開催致しました。当日は、秋晴れに恵まれた爽やかな一日でした。
Ⅰ.追浜工場の見学(9時半~)
日産自動車㈱追浜工場見学のあとで |
敷地面積約170万m2(東京ドーム36個分の大きさ)、従業員数約2,700名で、4車種(ジューク、シルフィ、キューブ、リーフ)の生産を行っており、月間8万台出荷できる専用埠頭を備えています。リーフは、2010年10月より世界初の量産型電気自動車(EV)として生産が開始されました(航続距離は220km)。そしてCO2削減、大気・土壌の汚染防止対策等環境にも配慮している工場です。
質疑応答を含め2時間以上に及ぶ工場見学後、海辺近くにある食事処「なぶらや」へ移動し、新鮮な刺身御膳を堪能しました。
Ⅱ.記念艦三笠博物館の見学(13時~)
ビデオ映像によるプレゼンテーションが行われた後に、博物館(艦内)の見物を行いました。 「三笠」は、英国で竣工され、排水量約15,000トン、全長122m、幅23m、速力18ノット、30cm砲4門,副砲15cm砲14門、補助砲8cm砲20門の装備で乗員860名、1903(明治3)年連合艦隊旗艦となりました。
そもそも日露戦争は、ロシアによる旅順の占拠と満州租借権に関する露日間の争いに端を発しました。1904年2月8日旅順口、同年8月10日の黄海での海戦で勝利を挙げた日本に対し、ロシアはバルチック艦隊を派遣すれば、戦局を挽回できると考えていました。しかし、日本は、かかる状況を予測しての人材育成(1877年迄に軍人68名の海外派遣)を計り、砲戦技術・射撃技術の優越と相まって、戦闘員の士気が高かったのです。また、仮装巡洋艦信濃からの「敵艦見ゆ」の打電は、無電が実戦で利用された最初の海戦でした。(海戦1か月前の4月に装備された。)一方、ロシア軍は、指揮官ロジェストウ“ェンスキーの意向に沿わず、艦隊は迅速に集結せず、速力が遅く故障が頻発する古い軍艦が多く、また室温が高い事で食糧が腐敗し、それに加えて日英同盟の為無煙炭の確保は出来ず、近代海戦の訓練もまともに行っていなかった事が敗因とされています。
記念艦「三笠」を背景に 東郷平八郎 連合艦隊司令長官像の前で |
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