◆2022年4月16日(土)、元新潮社編集者で現在アートディズ編集長としてご活躍の宮島正洋さんによる講演会の第2弾「編集者が見た作家の素顔と実像(後半)」を武蔵野スイングホール10Fスカイルームで開催し、28名(講師含む)が参加しました。
◆今回の講演は、①99歳で逝った作家瀬戸内寂聴さんの「光と影」、②作家になりたかった森繁久彌さんと岸恵子さん、というテーマで編集者ならではの視点で素顔と実像を語って頂き、興味深いお話にみなさん頷くことしきりでした。お三方の素顔と実像について宮島さんが語られたキーワードを整理してみたい。
◆瀬戸内寂聴さんは、私生活は波乱万丈だったが、純文学(私小説)・評伝(社会派)・エンターテインメント小説という三つ異なる分野の作品を同時に書ける稀有な天才作家。 まず、売れっ子作家になるまで。新潮同人雑誌賞を受賞後第一作の「花芯」で「子宮作家」と評され挫折。6年干されている間、雑誌「青踏」に集う女流作家たちを取り上げる評伝作家に転身し見事成功するという才能と逞しさに驚かされた。その後も年上の作家との不倫は続き、元の恋人も現れて不倫相手の妻を含む四角関係の私生活を送る。その年上の作家との出会いと別れを描いた「夏の終わり」によって純文学作家として認められた(寂聴さん41歳)。新潮社の伝説の編集者にして週刊新潮の生みの親である「齋藤十一」さんから連載を頼まれるシーンは臨場感たっぷりで、自分を世に出してくれた人であり、唯一怖い存在であったという。また、寂聴さんはきっぷの良さは無類で、編集者がご馳走するのが当たり前の文芸の世界で宮島さんを高級料理屋でご馳走してくれた思い出も披露。 そして、その絶頂期に出家(寂聴さん51歳)。宮島さんは「売れっ子作家の絶頂期は想像を絶する異常な生活。そんな中で、ご本人が言っているように作家の井上光晴さんとの関係を断つためだけではなく、その異常な生活から逃れたくて出家したのではないか」と。 また、「99歳で亡くなるまで何が寂聴さんを生かし続けたのか」と考えると、円地文子、河野多恵子、大庭みな子といった女流作家のような色気のある素晴らしい文章を書いて死にたいという思いに突き動かされていたのではないか」と。
◆森繁久彌さんについては、お人柄を表わすシーンとして「屋根の裏のバイオリン弾き」の楽屋裏で打ち上げの日に一人語りされる逸話や「だいこんの花」の表彰式での向田邦子さんに花束をそっと渡すシーンなど、森繁さんの繊細で気を遣われる一面を紹介。また、早稲田の先輩にあたる井伏鱒二さんの名作「山椒魚」の朗読をすることになってとても喜ばれたお話からも、森繁さんが井伏さんを尊敬して止まなかったことが伺われた。表現者としては、「知床旅情をご自身で作詞作曲されたことは知られているが、晩年まで小説を書き続け、週刊新潮への連載も続けられるなど終生表現者であった」と思い出を語った。
◆岸恵子さんについても、作家としての才能を感じているという。岸さん作の「パリの空はあかね雲」を自ら朗読してもらった時、昼食を摂りに外にでるとすれ違う人たちの視線が一斉に岸さんに集中するのを感じ、まさに大女優のオーラを実感した場面に、然も有りなんと会場のみなさんも頷いていた。89歳になる今日でも文筆活動を続けられている由。お薦めの作品は「風をみていた」とのこと。
◆最後に、参加者から「我の強い作家たちとのお付き合いの中で気まずくなることはなかったか」という質問に「数知れずあった。たぶん試されていたのではないかと思う。しかし墓場まで持っていかなければならない話はたくさんあります」と言い切られ、プロの編集者としての覚悟を感じた。
◆講演会後は、武蔵境の串カツ田中で懇親会。テーブル毎に講演会の余韻で盛り上がった。